あらための今まで

あらため

こんにちはあらてめです!

失敗だらけの人生でした。
無一文から人並の生活まで経験しました。

エンタメ感覚で興味のある方、これからあらために興味を持ってくれる方向けに書こうと思います。

北海道から東京へ!!

私は北海道のド田舎で生まれ育ち、年の離れた姉がいて
9歳のころ両親は離婚し、姉は16歳になりさっさと嫁いでいきました。

その後すぐに新しい父が来て、最初はすごく優しく、お小遣いもくれたが、入籍してから人が変わっていき「お前は邪魔だ」「お金がかかる」「出ていってほしい」暴力こそなかったがほぼ毎日のように母には聞こえないところで小学校高学年から高校2年生の時まで言われ続けました。

なぜ高校二年までかというと、その日のことを今でも覚えています。
久々の3人での夕飯で、シチューを食べていた時、おもむろに新父が
「出ていってほしい」「俺はお前の父ではないし、邪魔」「自分で稼いで暮らせるよね」
新父も我慢できなかったのだろう。そんなことを急に母の目の前で言い、母は茫然、まだ途中のごはんはそのまま自室に戻って居間からは言い合いの声が聞こえた。

新父は表面上取り繕うことがとてもうまかったので、そこで初めて母も色々な事を知ったのだろう。 
今までは休みの日には姉の家に逃げ、長期の休みには叔母が迎え入れてくれていた。 
高校受験の時には東京の高校に音楽専攻があったので実の父と母を説得したが金銭の問題もあるし、高校卒業までは家から通えるとこにしなさいということになった。
母が傷つくのは避けたかったし何より面倒ごとは嫌だったから新父からの嫌がらせは現在まで言っていない

程なくして、離婚、母との2人の生活が始まった。

そこからは母と貧乏生活
働きすぎでよく倒れていたのを覚えている。

不思議と友人のなかには同じような境遇のやつが集まっていた。
親が再婚し義理父から暴力を受けているやつ。
交通事故で親がいないやつ
離婚時に両親に捨てられたやつ 

みんな夜になると何をとは言わないが飲んで吸ってバイクに乗って、捕まった友人もいたり、いわゆる悪い友達も多くいた。
ただ母との生活で少し遠くに引っ越したのもあり友人の付き合いも徐々に変わっていった。
よく最初は駆け込み寺のような場所にもなっていて、1番衝撃だったのは返り血をつけ泣きながら助けを求められたことがあった、義理父に殴られつい、かっとなって夢中で殴ってしまって逃げてきた格闘技有段者だ。
ほとぼりが冷めるまでうちで面倒を見たこともあった。

あっという間に卒業し、友人との別れは名残惜しかったが東京に行った

東京編

そんなこんなで意気揚々と東京に夢しか見ていないお花畑のあらためが向かった。

しかし!!苦難が続いた。端的に言えば、あほだった。
雑草ともやしの生活だったり電気ガス水道すべて止まったり、挙句家がなくなったり、多額の負債をしてしまったりなど・・・。

当時はなんでこんなことに!!と訳も分からずだったが今思えばただただお金の知識不足。意志の弱さが原因だった。

そんな中友人から「夢とお金、仕事は別だと思う。うまく言えないけどさ」と言われ
色々考えてまずは自分の生活の立て直しを図りました。20代前半のころだったと思う。

現在では外資系の会社に勤務、負債もなく、子供2人います。
職歴等も結構複雑です。
掛け持ちをひたすらやっていたので時系列がおかしなことになります。

社員としてやったのが
料理人店長、企業のメニュー開発、イベント会社のマネージャー(契約)、JRの電気設備等のメンテナンス(契約)、あとは友人の派遣会社をたまに手伝い(なぜか接待とかも)、友人の店舗に頼まれイベントの管理、ブッキングをしてみたり、物販やってみたり、スポットでギターの仕事も受けたり。

アルバイトも入れると、コンビニ、カラオケ店、居酒屋、パチンコ屋、某牛丼屋、弁当屋など
毎日移動と仕事の休憩時間に睡眠、合わせて3~4時間平均でした。
もちろん数か月でやめたとかは一切なかったです。


もちろん無理がたたり、身体を壊して2か月程安静に、その後リハビリ、しかも体を壊した後にうつ病も診断され3か月の療養を言われ、職をすべて失いました。そのころ支えてくれていた恋人には感謝!もちろんその方と結婚しています。

地方へ

身体と心を同時に壊し、会社なんてどれだけ貢献していても保証は何もなく、疎遠になったかなりの人たち、残ったのは今の妻と、僅かな本物の友人たち、偽物の友人面した知り合い程度の方があまりにも多かった。むちゃくちゃ悲しかったですね。

その後なぜ地方に?
病院に行く前に苦しくて母にSOSの電話をしたような気がします。
妻は地元に帰ってた時のこと。妻にも電話し、妻が先のことも考え、病院にと促してくれ、東京の家は引き払うように考え、私の母に電話し、父母が迎えにきてそのまま保護されました。
姉から噂は聞いていたが母と実の父はなぜか元鞘に納まり関東にいたのです。

「仕事やお金なんかよりもあなたのほうが大切」

もう全米が泣いたと思います。

そこから約8か月くらい無職状態、実は鬱になる前に妻は子供を妊娠していました。
今思えば本当に申し訳ない。最悪の男でしたね
妻との笑い話になってよかったです。

鬱の治療とリハビリをし、睡眠薬、抗うつ剤、痛み止め、炎症緩和剤やら薬漬け
無職から6か月くらいでかなり良くなりました。
鬱に関しては波がありましたけどかなりましでしたね、一人にしたら死んでしまうと先生に言われた時から現在は未来の為にどう生きていこう!ってところまで回復しましたし

失業保険の期間もなくなり、子供も生まれ、職探しをしよう!

そのころ人の心に興味もあり営業職をやってみようと思っていたのですぐ面接にいきその場で2か月後からまずは契約でと話をいただいた。27?くらいの時だったかな

安月給ながらもまぁ人並には努力し1年目の数字ではないと褒められるくらいはやった。
色々な経験が役に立った。
よく妻には「やっと人間らしい生活になったね」と喜んでくれた。
当時友人にも人間の生活じゃないとよく言われていた。

現在まで

ただ1年ほどたち、「そんなときにこのままでもいいのかな?」と思ってしまった。
以前の生活とは違い時間があるのだ。考えてしまう時間が、
一生懸命企業に尽くしていても企業は何もしない、それを知っていた。
とはいえ残業休日出勤当たり前の職場に変わりはないが・・・。

妻を、自分の家族を不安なく生活させたい、幸せでいられる時間を1秒でも多く一緒に感じたい。
手の届く範囲なら手助けをしたい!!
そしていろんな本を読み手探りで何かないかと探し続けた。FP、副業、啓発本、法律などなど様々

レザークラフトをやってみたり
メルカリなどで出品してみたり
資格を取ってみたり
もがいたが挫折の連続
辞めたい辞めたい!でも辞めたら生活ができない!そんな思いが先行するようになった。
今まで雇われ依頼をこなすことには慣れていたが自分で稼ぐことはあまり深くやっていなかった。

そしてなんだかんだと悩み続けて、歳を取っていくのだと、気づいたら定年、子供には十分なことはあまりできずに死ぬ間際に後悔でもするのか

そう思っていた時に両学長さんのリベ大に出会い、ヒトデさんのヒトデブログに出会ってこんな世界があるのかと自分の考えの狭さを実感した。

すぐには行動しなかった。原因を探った。
まずは自分を知るために向き合い
どうありたいのかを今一度確認
時間の確保を工夫し
生活を徐々にあらため
PCを購入

そして知識0のままブログを始めた。

最後に

今一番重要視しているのは成果ではなく継続だ

なぜかというとやめてしまえばそれまでだから
まずは継続

そして成果

もちろん成果も頭にはおいているが焦ってあたふたしてはだめだと思っている。

もちろん人には向き不向きがあるし、人生には正解なんて物はない
だからこれからは後悔なく選択していきたいと思っている。
できる限りの幸せを手の届く範囲の人たちに

それが私や妻の幸せになることを願っている。

はい!ここまでありがとうございます!!
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あらためでした!

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